「のたんぷ・に」上演作品を辿る、「あめのひに、あのこと。」
変わってしまった風景の中に、埋もれて消えたあの子との時間。
今はもう会えなくても、きっと何処で、まだ。
執筆・初上演は2017年。 今回の上演作品の中では最も新しいです。
当初の目的は「:Aqua mode planning:(AMP)看板女優・長友美聡に演出を任せるものを書く」。それだけを念頭に置いて、キャストが何名で上演するかも決めずに書き始めました。
結果的にはAMPメンバー各々の個人活動との兼ね合いからタイミングの合う劇団公演が行われず、長友に演出を任せる時間がなく、代わりに出演をしてもらうのも難しく、外部出演で予定が埋まっていた為に長友は観る事も適わず、むしろ長友が全く関与しない演目となりました。条件が揃い次第いつか改めて長友にと思っていたこの演目を、AMPじゃないほうの、のたんぷ-NOT AMP-で上演します。
前回上演時のキャストは、岡部あおい(:Aqua mode planning:)・伊藤ゆかり(茶谷堂)・吉武奈朋美(荒川チョモランマ)。マスクしてるし、稽古中に撮られたも
のですかね。みんな概ね150㎝。
この画像では朗読感が強めですが、台詞部分は普通に演じていました。
上演する回によって3人の役柄が入れ替わる方式を取ったところ、キャストの負担(主に頭の整理)が相当なものだったらしく、稽古中は3人で「どうやって演出家にそのやり方を諦めさせるか」をディベートしていたそうです。ごめんよ。どの配役にするかギリギリまで伝えないとかではなかったし、まぁ、そこは頑張ってとしか言えなかった。
登場する風景は自分の地元をイメージしていて、具体的お伝えするとこの辺りです。
駅前の川と、高校と、ゲーセンは既に潰れてしまって載っていません。
「あのこ」が住んでいた、長屋がマンションに変わったのはこの辺りをイメージしています。
交差点を左に行くと自宅。でもまだ1km以上先。右に、川を渡ると学校。でもまだ2kmくらい先。下に行くと大きな国道があって、その向こう側は別の子ども会の地区。「タヴェルナハンバーグ」は昔からあって子ども心ながらに「食べるなって!?」とツッコんでいましたが、小規模なギリシア料理店を指す言葉だそうです。上に行くと団地があって、そこだけでも相当な人数の同級生が住んでいたから、指定された登下校路から外れて放課後よく遊びに行きました。
どちら側から来ようとも、この川の橋部分に向かって急な下り坂になっていて、橋を越えた後は急な登り坂になる。徒歩でも自転車でも太腿を殺しにかかっている様な道でした。その全長500mの道の間に特に建物はなくて、なのにミートセンターだけはある。ミートセンターは豚をミートにするセンター。つまり屠殺場です。豚の断末魔の叫び声が響き渡り、首と皮がなくなった状態の肉塊がいくつもフックに吊るされた状態が道から見えました。毎日見るから日常ではあったものの、このエリアを通過するのはあまり落ち着いた気持ちではいられませんでしたね。
そんな環境の500mエリア。他に建物もなければ人目もないので、主に男子小学生のやんちゃ現場になっていました。橋の上から自転車を投げ落としたり、橋の上から着地まで時間のかかる立ち小便をしたり、虫やトカゲを捕まえて足を使えない状態にして轍に置いて次に来た車が轢くのを観察したり。
自分が小学1年生だか2年生の頃、帰り道で知らない上級生数人に「ちょっと来いよ」と呼び掛けられました。かなり大きい相手だったけどランドセルを背負っていたから6年生以下ではあったんでしょう。怖かったから従いました。「ここから先は目を閉じろ」と言われて、そのまましばらく歩かされてから手を伸ばすように命令されて何かに触れました。反射的に目を開けたら、同級生の、実際どうだったのか今はもう確かめようがないけど知的障害があると囁かれていた女の子が目の前にいて、自分の手はその下半身に触れていました。状況が呑み込めずヤバいとだけ分かって走って逃げて、上級生が追いかけてくるから更に怖くて、ミートセンターの向かい辺りで転びました。制服の半ズボンに守られていない足の部分が全て染まるくらいの結構な出血があったから上級生達はビビったのか、「いいよ、帰れ」と解
放されました。その後、同級生の女の子がどうなったのかは知りません。
過去に1回しか上演してない演目だから他より語れる事が少ないかと思って、自分の思い出を交えようとしながら書いていたらこれが思い出されました。やんちゃしてた彼らも今ではアラフォーで、結婚して新しい家族もいるかもしれません。子どももいるかもね。自分が過去に何をしたのかは覚えてないだろうね。
子どもだった頃に見えなかったもの、知らなかったもの。それを理解していくのが大人になる事だとして、見えてしまったから詰まらなくなる、知ってしまったから興味がなくなる、要は失ってしまうものもたくさんある。それは大人として日常生活を送る上では些細なもので、収入や健康状態など目の前の何かのプラスにはならなかったりして、でも長い目で一生を見返すと、良かったと思えるもののほうに分類されていたりして。
今とは違う時代と場所を思い返しながら書きました。戻れないのを分かりながら、残っている記憶を確かめながら。そんな、雨の日の話。
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